一つの職業しかしちゃいけないなんて誰が決めたの?
子供の頃、将来の夢は何?と聞かれましたよね。
学校の学級活動か何かのプリントで将来の夢を聞かれたとき、私は思いつく限りのやりたい事を書き殴っていました。
しかし、欄が小さすぎて書ききれないのです。
周りから、「お前なんでそんなたくさん書いてるんだずるいぞ」と言われました。
周りから言われた時にはピンときませんでしたが、教室の壁にみんなのプリントが張り出された時、初めて知りました。
「将来の夢を書く欄って、一つの夢を書く仕様だったんだ、、」
なんとみんな、将来の夢は一つしか書いていなかったのです。
それは、欄が小さ過ぎるわけです。思いつく限り書こうとしていたんですから。
しかし違和感がありました。
「なんで一つに絞らなきゃいけないの?」と思っていましたし、その疑問は今も抱えたままです。
どうやら、やりたい事は一つに絞らなければいけないという風潮が自然に生まれてしまうようです。
将来の夢を書く欄を、一つの夢サイズにまとめた先生も、自然とそうしたのだろうし、
クラスメイトも、自然と一つに絞ったのでしょう。
将来の夢が無いという若者が多いと常に話題ですが、
一つに絞らなければいけないという縛りがあれば、それは、将来の夢なんて無くなりますよね。
「やりたい事を何か一つに絞り、あなたの人生は全てそれに費やすと誓いなさい」なんて聞かれたら、重すぎて希望もクソもありません。
人間、発揮する能力が一つでないといけないなんて事はありません。
私たちは多面的な存在で、グラフ化するならば、無数にパラメータがあるレーダーチャートのようなものになるでしょう。
肩書きがあるとしても、肩書きに複数のレイヤーがあって構いません。
もう、農民に任命されたら畑を耕す試練があるという世界ではありません。
今は多面的な働き方が出来る時代です。
この時代に生まれて良かったと思います。現に、子供の頃辛うじて将来の夢欄に詰め込んだ内容は全てやっています!