人をいじるって行為は免許制にしちゃえばいい!という話
あまり面白くないのに人をいじって笑いを取ろうとする人っているじゃないですか。
だいたいそういう人が人をいじると、変な空気になりますよね。
それで私はこういった事を思うのです。(本文は言い切りで書いています)
人をいじるって行為は免許制にしちゃえばいい!
いじるセンスが無いやり方
ここではまず、人をいじるべきでないと私が思うタイプをいくつか挙げていく。
特定の人ばかりいじる
おそらくいじる側の頭の中にはヒエラルキーがあり、その人が勝手に決めたヒエラルヒーで、その人より下の人しかいじらない。自分より上だと思っている人はいじれないからである。
着地点を決めずにいじり始める or 着地点を他人任せにする
見切り発車で後々困るパターン。
それで困るのは、決していじった側だけでない。
いじるとモテる、かっこいいと思っている
「いじれる人はモテる」と言われることはあるが、
これはうまくいじれる人の事を指している。
少なくとも、何でもかんでもいじってればモテるわけではない。
(この文に限らず)憶測ですが、「〇〇すればモテる」と聞くと「〇〇することがmustだ!」という義務感を抱いてしまう人がいる。このようなタイプが、「いじればモテる」と言われると、無理に人をいじったりしまいがち。
これによって焦りながら人をいじるという謎の構図が出来上がることがある。
よくある具体例
下記のようなパターンが多く見受けられます。
いずれにせよ人をいじるのがうまくない人のパターンです。(ほとんどの場合がパターン1だと思います。)
パターン1:自分はいじるのがうまいと思っているタイプ
自信満々で人をいじる
↓
周りのみんな(いじった側に権限があると思っている人々)が無理して笑う
↓
ウけたと思いエスカレートする
↓
落としどころがないため、本人もいつまで続ければいいか分からず、
別の話題が生まれるまでor相手が泣くまでやめない
(本人が作ったノリなので、ほかの人が救うと思ったら大間違い)
またこんな場合も。
自信満々で人をいじる。
(例えば、人を無茶振りさせる)
↓
滑る
(例えば、無茶振りさせられた人が滑る)
↓
(どういった思考回路でそうなったのか)いじられた側のせいにする
(例えば、「お前のせいで滑った」など「からの?」などの言葉の乱用)
↓
さらにマズい空気になる
周りに話題を変えれる人がいるなら良いが、いじりに関しては、
謎の”ノらなきゃいけない感”
が発生する場合が多い。
そういった意味でもいじりというのは、簡単に逃れられないというタチの悪さが存在する。
問題点
いじった側:友達が減っていく(いじる力に自信ある故、何が原因か気付かない)
いじられた側:傷つく
周り:面白くもないのに笑う癖がつく(これ大問題)
パターン2:人をいじることがかっこいいと思っていて、いじる挑戦をしているタイプ
頑張っていじる
↓
滑る
↓
いじろうとした本人が勝手に傷つく
問題点
いじろうとした側:結局傷つく、友達が減っていく
いじられた側、周り:空気が乱れて会話の質が落ちる
問題点まとめ
上記の例含めて、下手な人が人をいじる事の問題点をまとめると以下のようになります。
・友達が減る
・傷つく
・会話の質が落ちる
という事が起こるということ。
”傷つく”は、精神的な外傷の事を指すので、リカバリー不能なパターンもある。
リカバリー不能な傷がつくといった意味では、交通事故のリスクに匹敵するといえる。
つまり、場合によっては、
いじる能力がない人間が人をいじるという行為は、無免許運転に匹敵するリスクが潜んでいるともいえる。
前提
この記事は、
・友達が減らない方が、良い
・傷つかない方が、良い
・会話の質が高い方が、良い
という仮定のもと書いておりますのでお含みおきを。
提案1:人をいじるの全面禁止!
しかし世の中には、
「人をいじって笑いをとれる人」「誰も傷つけずに人をいじれる人」も存在し、
こういった人々のいじりは世のコミュニケーションを支えている事がある。
いじりを全面禁止にしてしまうと、こういった恩恵が受けられなくなる。
なので、これを踏まえて以下の提案をする。
提案2:人をいじるのに、特定の免許を必要とする
この記事では、こちらの提案2を推している。
人をいじるのには、特定の免許の所持が必要で、無免許で人をいじった場合、
無免許法律によって罰される
といった法律を作る。
この免許は、国が人をいじっていいと決めたときのみに与えられるものであり、
免許取得の条件は、国が認めたコミュニケーションの専門家が考案するものとする。
基本的に免許取得に必要な試験の内容は以下のようなものがある
・グループワーク
グループの中で会話をして、いじり方の良し悪しを試験官が審査
・面接
面接官が不快にならないか、面白い話ができる人間なのかを審査
・筆記試験
いじりに関するセオリーの試験、いじりに関する法令の試験の受験
以上、これらをすべてパスして免許を取得できるとする。
効果
下手な人が人をいじることがなくなるので、先ほど挙げた問題点が解消される。
パターン1:自分はいじるのがうまいと思っているタイプ
いじる側は、免許がなかなか取得できないので、いじるセンスがなかったと自覚できる。もしくはまだ自分の能力のなさに気づかず、面接官などに対してセンスがないと愚痴り続けるかもしれないが、いずれにせよ、法によっていじる事を抑制できる。
不当にいじられることがなくなるので、それによって傷つくことはなくなる。
変な空気になる事はないので、少なくとも本来よりは質のいいコミュニケーションができる。
パターン2:人をいじることがかっこいいと思っていて、いじる挑戦をしているタイプ
免許制を設けることで、無理していじっていた側は
「そっか俺、無理して人をいじらなくて良いんだ」
という解放感に包まれ、等身大で生きれるようになる。
それでも、
「いじる=かっこいい」かつ「自分=かっこよくなければならない」
の式が抜けない人は、「免許を取っていじってモテるぞ!」と勉強し、免許が取れた頃にはいじるセオリーも理解しているはず。
という事で、
・友達が減る
・傷つく
・会話の質が落ちる
の問題点が解消されているわけである。
課題
とは言えまだまだ突っ込みどころが多い。
・一度免許を取得してしまって不当に乱用する人も中には出てくるのではないか?
・自動車では高齢者の事故が多い、いじりにおいても同じことが起こりえるのではないか?そこんとこどう考えてる?
・無免許いじりを取り締まるの難しくない?
・「この人いじってました」の証言だけで取り締まれる?
・免許導入の資金、人材の調達はどこから?
いろいろあると思います。こちらに関しては、
「何も言い返せねぇ.....!」
の一言でやらせていただいてます。
現時点で現実的でないことは分かっています。
でもこれ共感してくれる方は少しくらい居るんじゃないかなと思っています。
以上です。